お酒のせいにしてもいいこと

「やあ」

 不意に視界に飛び込む人影があった。

「炎神様!」

 グラスは——無い。綺麗なお皿——見当たらない。突然の賓客にあたふたしていると、当の本人はくつくつとおかしそうに笑った。

「気を遣わなくていい。今日の主役は君たちだ。——結婚おめでとう、ナマエ」
「ああ、あの、その、ありがとうございます……!」

 頭を下げそうになり、大きな髪飾りのことを思い出す。せっかくセットしてもらったのに、頭を下に向けたら落としてしまうかもしれない。そもそもナタにおいて礼は感謝の気持ちとして通じるものなのだろうか。お辞儀しかけた体勢でああだのこうだの悩む姿が面白かったらしく、今度はアッハッハと声をあげて笑われてしまった。

「そんなに畏まらないでくれ。ただのマーヴィカとして見てくれていい。宴があると聞いたら、来ないわけにはいかないだろう?」

「あの、でも、キィニチから聞きました。この結婚は大切なものだって。ナタの英雄の結婚式ともなれば、経済を回せるし気分も高揚してナタ復興のきっかけになる。守り継いできた文化を、次世代に継承してほしいと、炎神様が仰っていたって……」
「ああ、あれか」

 炎神様はこともなげに言った。

「気にしなくていい」
「えええ」
「あれはキィニチを結婚に踏み切らせるための方便のようなものだ。無論、その側面があることも否定できないが……それは副次的なものであって、目的じゃない。君は、気にしなくていい」
「そ、そうだったんですか」

 一気に肩の力が抜けた。丸まった背中を炎神様がバシバシと叩く。力強いけれども、痛くはない。

「ところで、キィニチは? 大切な花嫁を置いて、どこで油を売っているんだ」
「さっき、ワイナさんに呼ばれて……多分すぐ戻ってくると思います」
「そうか。それなら仕方がない」

 通りがかった人が、ほとんど投げるようにして炎神様にグラス(ジョッキ?)を手渡した。炎神様はそれを難なく受け取って、腰に手を当てゴクゴクと中身を飲み干す。

「うまい! 良い酒が揃っているな」
「よかった。それ、私が選んだんです」
「ナマエが? 良い趣味をしているな。普段はあまり飲む様子を見ないから、それほど好きではないのかと思っていた」
「確かに、最近はあんまり飲まないかも。キィニチもほとんど飲まないから」
「そうか」

 炎神様が一瞬、優しいような寂しいような笑みを浮かべたような気がした。彼女は懸木の民の出身と言っていただろうか。キィニチの過去も知っているのかもしれない。

「君たちは幸せな家庭を築くんだろうな。……本当は、『キィニチの帰る場所になってやってくれ』と頼みに来たんだ。だが、私から頼むまでもないらしい」

 炎神様はジョッキをテーブル置くと、私にまっすぐ向き直った。瞳の中に太陽がある。以前の私だったら、この光に焼かれてしまうような心地だったかもしれない。
 でも、今は違う。

「——改めて、結婚おめでとう。炎神ハボリムより、心からの祝福と加護を」
「ありがとうございます。きっと、キィニチを幸せにしてみせます」
「ははっ、頼もしいな。だそうだ、キィニチ」
「……えっ」

 視線は私の後方を捉えている。慌てて振り返ると、いつの間にか戻ってきていたらしいキィニチが、ひどく赤面して置きどころのない視線をずっと彷徨わせているのであった。


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