ぱやぱやと愛しいきみ
硬い指先が弦を爪弾くと、ポロン、と滑らかな音がする。派手に明るく塗られたボディーからは想像のつかない、純粋で素朴な音だ。
「キィニチ、ウクレレも弾けたんだ。知らなかった」
「弾けるってほどじゃない。昔、コードを教わったくらいだ」
「それって、弾けるってことじゃない……?」
楽器の弾けない私は思わず首を傾げたが、本人的にはそういうわけでもないらしい。昔と言う割に、左手は迷いなくコードを押さえ、右手が動くと綺麗に和音が鳴る。どれだけ練習を重ねたらこんなに滑らかに楽器を弾けるようになるのだろう。キィニチは器用な人だから、意外と時間はかからないのかもしれない。自分も弾き語りに挑戦しようと友人にギターを借りたことがあったが、右手と左手の動きが違う時点でだめだった。
「コード、どれくらい覚えてるの」
「たぶん、全部だ」
「うーん、それってやっぱり弾けるってことじゃないかな」
「そうか?」
ポロン、ポロン、と軽く右手を動かして、キィニチはほんの少し眉をひそめた。ウクレレの頭の、ねじの部分に手が伸ばされる。三弦だけを右手が鳴らす。左手で慎重にねじを回すと、三弦の音が少し高くなったり、低くなったりした。
「チューニングずれてた?」
「三弦だけ、少しずれてるな。全体の状態はそこまで悪くない」
「ムアラニちゃんがくれたんだっけ?」
「ああ。ジャンベ楽器店でずっと売れ残ってたヤツの、横流しだな」
笑顔でウクレレを横流しするムアラニちゃんの姿が浮かぶ。流泉の衆は観光地だから、新しいお土産がどんどん生産されていく分、古い型は見向きもされなくなっていくのだろう。そう考えると、保護犬を迎えたような気持ちになる。
けれども、チューニングのずれが酷くないということは、きっと丁寧に管理され続けていたに違いない。弦楽器は湿度や温度の変化ですぐに音がずれてしまうと聞く。
「これで大丈夫だ」
右手がまた弦を鳴らして、今度は少し自信ありげな音がした。心なしか、和音が先ほどよりも透き通って聴こえるような気がする。心なしか。
「分かってないだろう」
触ったことのない楽器のチューニングは全く分からない。じっとりとした目で見つめられて、慌てて視線をあさっての方向に向ける。
「実は、チューニングができるってすごいことなんだよ。もちろん、ウクレレを弾けることも」
ふっと息を零す音が聞こえて、横目でこっそりとキィニチを見た。キィニチはもう、ウクレレの方を見ていた。
「分かってる。俺も、歌は得意じゃないしな」
「嘘だ」
「本当だ。何か、歌ってくれないか。合わせてみたい」
「合わせるって、ウクレレを? そんなことできるの?」
「やってみる」
やってみるって、どうやって。聞きたいことは山ほどあったけど、これ以上聞くとしつこいと思われてしまいそうなので、仕方なく黙り込んだ。
「でも、私、キィニチの知ってる曲なんにも分かんないよ」
「あっちの世界の歌でもいい。聞かせてくれ」
そこまで言うのなら、歌ってやらないと可哀想かもしれない。脳みそを精いっぱいはたらかせて、ウクレレに合いそうな、楽しげな曲を思い出す。
「——、——……」
ぼんやりと、私は今、何語を喋っているのだろうと思った。
てっきり日本語だと思っていた。思ったことをそのまま口にすれば、そのままが相手に伝わる。この世界に飛ばされてから、言語で不便を感じたことはない。しかし、稲妻ならまだ話は分かるものの、ここはナタだ。日本語が伝わるはずはない。
「——」
メロディに乗せられた日本語は、ぼんやりと溶けて消えていくようだった。大気と混ざり合って、存在が曖昧になっていく。まるで最初から存在しなかったかのように。
キィニチは、じっと押し黙って私の歌を聞いていた。大好きな歌だ。歌詞も好きだった。できればキィニチにも、メロディに乗せたこの歌詞を届けてやりたいと思う。でもそれが叶う日は来ない。世界そのものに、私のルーツは否定されている。
一番のサビが終わったくらいで、ウクレレがポロンと鳴った。次はどのコードを弾くのだろうと注視していると、「もう一度」と低い声が言う。
「もう一度、歌ってくれ」
「うん」
最初の音が唇を離れたとき、私は一人きりだった。けれども次の小節に入る頃、歌をつくるのは二人になっていた。
「——、——〜〜」
自然と体がゆらゆら揺れる。キィニチのウクレレは的確に私のメロディを捕捉して、メロディに合う伴奏を即興でつくっていく。
——すごい。
最初の謙遜は度が過ぎていたのではと思うほどだった。さっき初めてメロディだけ聴いた曲の伴奏を、ここまで的確に織りなせるものだろうか。
——すごい。歌うことが、楽しい。
ナタには珍しいであろう旋律につられたのか、ユムカ仔竜が一頭、不思議そうな顔で近づいてきた。ウクレレのにおいを嗅いで、私のにおいを嗅いで、キィニチの背に頭を擦り付ける。次はキィニチの脇の下を潜り抜けて、あぐらをかいたその膝に陣取り、薄く色づいた鼻先でグイッとウクレレを押し上げた。キィニチの手元が狂って、演奏が乱れる。
「ふふ、——、——」
キィニチはけしてユムカ仔竜を邪険にすることはなく、されるがままに邪魔されながら懸命に伴奏を続けている。一度止まったところで誰も怒りはしないのだが、キィニチが伴奏を続けるので、私も歌い続ける。
やがて三番のサビを歌い終え、もうおしまいとキィニチに合図をする。しかしキィニチはうんと頷いたきり、ゆるやかにリズムを落としながら演奏を続けている。
なんだろうと観察していると、ウクレレにちょっかいを出していた仔竜が眠たげに首をもたげた。そのまましばらく単調なリズムに揺られて、ゆらゆらと船を漕ぐようになっていく。
膝の上でまあるくなった仔竜の頭を撫で、キィニチは満足そうに笑った。演奏を止め、ゆっくり、音を立てぬようウクレレを地面に置く。そのあんまりの愛しさに、私は結局、キィニチに思いきり抱きついてしまいたい衝動を抑えながら、一人で身悶えするしかないのだった。